惑星ソラリスは、1972年に公開された旧ソビエト映画である。
監督は、アンドレイ・タルコフスキーであり、原作はポーランドのSF小説家スタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」である。
映画は、165分と長い。
2001年宇宙の旅と並び、SF映画の金字塔とされる。
2002年にソダーバーグ監督がリメイクした。主演は、ジョージ・クルーニーである。
リメイクより1972年版の方が出来は良いと思う。
映画内容
惑星ソラリスにある宇宙ステーション「プロメテウス」との交信ができなくなり、主人公クリスが調査に向かう。
「プロメテウス」でクリスが見たのは、死んだはずの妻であった。
惑星ソラリスの海自体が知的生命体であり、人間の記憶を読み取り亡くなった人間を再生していたのだ。
再生された妻は、亡くなった時のままであり人間そのものである。
知的生命体である惑星ソラリスの海とコミュニケーションが全く取れないがどうも人間を観察しているようだ。
知的生命体が海であり、惑星ソラリス自体は一つの生命体とは斬新である。
さて映画で使われているクラシック音楽はバッハの「主イエス・キリストよ、われ汝(なんじ)に呼ばわる」である。
「主イエス・キリストよ、われ汝(なんじ)に呼ばわる」バッハ
物悲しい曲であり、この映画にふさわしい。
もし亡くなった人が目の前にあらわれたら?それが作り出されたものだとしたら?それでも人間として認めてしまうのか。考えさせる哲学的なテーマを持った映画だ。
最後の方であるが未来的な街並みとして東京の高速道路のシーンが出てくる。
冒頭でも述べたが、映画は165分と長いため観るのに根気がいる。テレビで放映された時は90分に短縮されたいたがそれほど内容が削られていたとは感じられないため、映画自体が冗長なのだ。しかし、アンドレイ・タルコフスキー監督はあえて長くしたらしい。
失礼かもしれないが、旧ソビエト時代によくこのような映画が作れたものである。
ところで早川書房からでている小説の題名「ソラリスの陽のもとに」は、詩的であり私は好きである。
ソラリスの陽のもとに (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)